わたくし 田井野しゅん
田井野 駿
昭和63年5月23日 八幡浜市にて出生
平成13年 八幡浜市立神山小学校卒業
平成16年 八幡浜市立八代中学校卒業
平成19年 愛媛県立八幡浜高等学校卒業
平成23年 立命館大学卒業、金融機関に勤務
平成24年 参議院議員 林芳正氏 秘書
平成30年 衆議院議員 山本公一氏 秘書
令和 3年 衆議院議員 長谷川淳二氏 秘書
令和 5年 愛媛県議会議員選挙 初当選
(八幡浜市・西宇和郡選挙区)
好きな言葉:時は命なり
マイブーム:MLB日本人選手の活躍チェック
八幡浜市五反田在住 35才
愛する ふるさと
私の選挙区は、愛媛県西南部『南予地方』の北部に位置する八幡浜市と西宇和郡伊方町の一市一町で構成されます。この八幡浜市と西宇和郡の頭文字をとり『八西地域』と呼びます。この八西地域こそが、私が日々の政治活動を行う拠点であり、愛してやまない故郷です。
【八幡浜市】
私が生まれ育ち、現在も住んでいる八幡浜市は佐田岬半島の付け根に位置し、平成17年に旧八幡浜市と旧西宇和郡保内町が合併して現在の姿になりました。
旧八幡浜市の中心市街地は古くから関西や九州との海上交易が盛んで多くの商店が立ち並ぶ商いの街であり、明治期には『伊予の大阪』と呼ばれていました。旧保内町の川之石地区も鉱山業や紡績業、ろうそくの原料であるハゼの栽培や交易で栄え、県下初の銀行である第二十九国立銀行(現在の伊予銀行の母体)が設立、四国で初めて電灯が灯った進取の気性に富んだ地域でした。
時は流れ現在、海上交易は八幡浜港と大分別府・臼杵を結ぶフェリー便へと姿を変え、九州から京阪神へと繋がる『新しい国土軸』の一角として重要な役割を担っています。令和4年には新埠頭を有するフェリーターミナルが完成、それまでよりさらに大型の船の着岸が可能となり交流人口・物流拡大の起爆剤となることが期待されています。
温暖で日照時間の長い気候と急峻な地形は柑橘栽培に適しており、直射日光と海からの反射光、段々畑の石垣からの反射光は合わせて『三つの太陽』と呼ばれ、これら自然の恩恵を受けて育つ温州ミカンは質・量ともに全国有数であり、日の丸・真穴・川上などの有名ブランドを輩出しています。また、八幡浜港は古くから天然の良港として栄え、四国唯一の底曳き網漁船(トロール漁船)が操業していることでも知られる八幡浜の水産業は西日本有数の豊富な魚種と漁獲量を誇り、四国最大の市水産卸売市場で取引された魚介類は全国へと発送されます。
近年では市民のソウルフードとして名高い『八幡浜ちゃんぽん』や地元商店街有志の企画する『黒い商店街』など町おこしが盛んであることに加え、令和元年からはダルメイン世界マーマレードアワード&フェスティバルの日本大会を誘致、プロ・アマ問わず多数の参加者が出品し柑橘王国にふさわしい盛り上がりを見せています。
【伊方町】
八幡浜市から西へ向かうと、日本一細長い半島として知られる佐田岬半島が40キロ以上に渡り対岸の大分県へと向かって伸びています。この佐田岬半島の大部分を占めるのが伊方町です。八幡浜市と同様平成17年に西宇和郡の旧伊方町、旧瀬戸町、旧三崎町が合併し現在の伊方町が誕生しました。
旧伊方町には四国唯一の原子力発電所である四国電力・伊方発電所が立地し、第3号機が現在も稼働を続け四国4県の住民の生活に必要な電力供給になくてはならない役割を担っています。加えて町内には6か所の発電所に電力を発電する風車が50基以上存在し、「クリーンエネルギーの町」としての存在感を示しつつ、展望スポット・せと風の丘パークなどから眺める風車群は壮観であり、佐田岬を代表する風景として有力な観光資源でもあります。
このほかにも四国最西端から豊予海峡を見守る佐田岬灯台やハイキングコースとして人気の旧瀬戸町の高茂高原、瀬戸内海と宇和海を一望できる権現山展望台など雄大な自然や人々の営みに触れられる見どころが多数存在します。町内に点在する先人が築いた石垣は旧三崎町名取地区が特に有名です。
八幡浜市同様に柑橘栽培と水産業が盛んな町ですが旧三崎町では清見、ポンカン、デコポンなどの中晩柑類の栽培が有名であり若手後継者の育成に地域をあげて取り組んでいます。また半島先端付近の海域はイセエビやアワビ、サザエの繁殖地であり、漁期には伝統的な漁法である素潜り漁を行う海士(あまし)たちが活躍します。
町内唯一の高校である県立三崎高等学校は、数年来の改革が実り生徒数減少による分校化の議論から一転、毎年多数の町外県外からの進学希望者が受験し志願者数減少に苦しむ南予の県立高校の中では大健闘していることに加え、生徒たちの課外活動を通しての地域交流は町の大きな希望となっています。
(写真は私がこれまで撮りためたものです)
【故郷のために何ができるか】
私の大切な故郷・八西地域はいま、強大な敵と戦っています。深刻な少子高齢化に伴う人口減少です。日本の人口がピークに達したのが平成20年ですが、八西地域では昭和30年代から人口の減少が始まっています。そして平成17年の平成の合併時に両市町合わせて5万数千人いた人口が現在は4万人を切りました。県の推計では2060年には1万7千人程度になると見込まれています。事実、私が帰郷して政治活動を始めてからも空き家の数は着実に増え続け、その一方外で子供たちの声を聞くことも年々減っているような気がしてなりません。
今すぐ人口減を止めることは非常に困難だと思いますが、何も手を打たないわけにはいきません。医療や福祉サービスの充実、ネット環境など利便性の都市部との格差是正は人口流出を防ぐためにも、これからの時代を担う若い方々に移り住んでもらうためにも精一杯取り組まなくてはなりません。八幡浜市も伊方町も『道の駅みなっと』や『佐田岬はなはな』などを起爆剤とする観光・交流人口の増加に必死で取り組んでおり、私が物心ついた頃から比べると週末の賑わいは格段に増えました。現在建設が進んでいる大洲・八幡浜自動車道路も、九州と京阪神を繋ぐ『新しい国土軸』の一角としての八西地域の存在感を高めると大きな期待を寄せられています。
地方創生に加え、分娩機能が失われて久しい医療の空洞化、近い将来高い確率で起こると想定される南海トラフ大地震など自然災害への備え、伊方原子力発電所の安全管理など、課題を挙げていけば枚挙にいとまがありません。これからもずっと人々の笑顔と営みを絶やさぬよう、一度故郷を離れた若者がまた帰ってきたくなるような、そんな八西地域を我が生涯をかけて創ります!